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ひなまつりの由来
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平安時代、源氏物語の中にも記されている宮中の「ひいな遊び」と祓(はら)えの道具である「人形(ひとがた)」が結びつき、三月三日、上已(じょうし)の節句として、穢(けが)れを流すという風習「流し雛」が起源とされています。
江戸時代になると、人形の製作技術の進歩に伴いお子様に災いがふりかからないようにとの願いを込め現代に通じるひな人形が普及するようになり、ひなまつりの風習が定着してきたものと考えられます。言わばひな人形はお守りでもあるのです。
端午の節句
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「端午」とは、月初めの午の日を指す言葉でしたが、奇数月の同じ数字の重なる日を「節句」としたならわしから五月五日に限られるようになりました。
厄除けとなる菖蒲湯(しょうぶゆ)の風習を残しながら武者人形を飾り、男子の成長を願ってきました。
菖蒲が「尚武(しょうぶ)」に通じる事から、男子の武運栄達、さらに健やかな成長を願い、江戸時代には定着してきました。